2017年10月30日月曜日

最近、家族の事しか書くことがない

あいかわらず文章が出てこず苦労している。どうして私は書物のコントロールできないのか。とりあえず、どこかへ出かけると罪悪感が沸くので、なんとか向き合おうとほぼ引きこもっている。

そうすると、身の回りにおきる特筆できることといえば、家族のことくらいしかなくなる。


〜〜〜〜〜


姪っ子が生まれたり、祖母の様子を見に行ったりで、実家に帰ることが多い。

今日も祖母のパスポートを取りに行った。なんと来年の春に、兄と私と祖母で海外に行くことになったのだ。改めて祖母の年齢をハッキリ知ったのだけど祖母は84歳。パスポートは5年10年どちらか選ぶことになるが、長寿の祈願も込めて10年で手続きした。


今は別々に暮らしており、こんな風に仲良くしている祖母。だけど、20数年間一緒に暮らしていた時は、それなりに確執があった。

祖母に育てられることによる、同年代の子供たちとの常識の違いを「どうして私だけ違うのか」と恥ずかしいと感じることがあった。祖母にそれを直接言ったこともあり、きっとそれは祖母の事を傷付けたと思う。

一方のほうで祖母も、感情豊かなぶん気性も激しさを制御できない時があった。理不尽に怒りをぶちまけることがあった。たまに「なんであんたらを育てなあかんの!出て行き!」みたいな心にない言葉を吐き出して、私は深く傷付いた。


でも離れてみると、私は冷静になり、あの時気付けなかった祖母の辛さを想えるようになった。

確かに、3人の子育てをしたあとに更にもう3人も乳飲み子を育てなければならないというのは、想像を絶するくらい大変だったことだろう。更年期のイライラや老年期の不満が次々にやってくる中、卒業したと思った子育てのプレッシャーが再びのしかかってくる。私達の存在は、重かったことだろう。とりわけその中でも私は頭がおかしくなったりしたし、さぞかし嫌になったことだろう。

祖母の方も、離れて素直になり、年を取れば取るごとに不憫なほどに丸くなった。
そうして私たちはお互いの辛さを分かり合えるようになった。私と祖母の距離は、俗に言う「離れてから縮まった」のだ。

今ではとても仲が良いし、祖母は私達のことを応援してくれる。
祖母は、盲目的とも思えるくらいに「頑張ってる」「立派に育ってる」と私達に言うようになった。


でも残念ながら私の場合、頑張れていないことばかりである。抜けていることばかりである。出来ない。話せない。書けない。守れない。みんなみたいに上手く出来ない。
けれど距離が離れている今は、私の中身がクズだということに気付かず、「上手くやってる」と思ってくれてるのか。いや、そこは本当は気付いてるのかもしれない。私には分からない。
それでもとにかく、小さい子に言い聞かすみたいに、祖母は私を褒める。

私はそれに、ありがとうと返す。そして、祖母が言うほど上手に生きれていない自分自身の、まるで罪償いでもするように、私もまた祖母にとびきり優しくするのだ。

それが良いのか悪いのか分からないし、思うことはあるが、祖母には幸せでいてほしいと願う。



もう散々一緒にいて話なんてし飽きたと思っていたけれど、離れた今、話すとまだ新しく知ることや気付くことがあって驚く。

例えば、亡くなった祖父の知らない側面の話を祖母はよくする。たいていは憎まれ口を叩くのだけれど、そこに漂うどうしようもない情を感じる。そうか、いま私は、祖母と恋バナをしているのだ、とふと思ったりもする。

最近では、認知症になってしまった知人や友人の話を祖母はよくする。祖母自体も経年による認知能力の衰えを気付いているようで、自身がそうならないように必死に強がっているようにも見える。

新しく聞く話、新しく気づくこと、ポツポツと散らばって落ちているそれらを、取り零さないように拾う。拾わないと、そのままどこかへ消えていってしまいそうだと思う。


そういえば、祖母が話す後ろでずっとラジオ関西が流れているのに気づく。私が番組を持っているということで、聴き逃してはならないと、放送外もずっと流してるらしい。
もうホンマにそういうところあるよな、と思う。


〜〜〜〜〜


「じゃ、そろそろ帰るわ」
家を出る。
良いって言ってるのに、祖母は玄関先まで見送りにくる。並んで立つ祖母の背は、あまりにも小さい。もう冷えるから中入りと言うのに、歩き出して振り向くとまだ玄関先に立っている。きっと、そこの角を曲がって見えなくなるまで入らないのだろう。
もうホンマに、そういうところあるよな、と思う。


歩きながら、さっき発行したてのパスポートを手に「10年も生きれるやろか」とポツリと呟いた祖母の姿を思い返していた。私の頭よりもうひとつぶんくらい縮んでしまった祖母。10年経ったら、さらに縮んでしまうのだろうか。縮んで縮んで、そのまま、消えてしまいそうだ。



困ったことに、最近いつも、その角を曲がった瞬間になにかが溢れてくるみたいに泣けてくる。

悲しさと寂しさと、やるせなさと、申し訳なさと、
何とも言えない気持ちに勝手に陥って、めそめそ泣きながら駅へと向かう。


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