2017年11月28日火曜日

書けないことを書く2

ずっとこうやって悩んでいると、「もしかしてスランプじゃなくて、それが普通なんじゃない…?」「向いてないんじゃない…?」「本当は才能がないんじゃない…書けないんじゃない…?」という心の声が聞こえてくる。

うるさいそんなの知らないやってやる、と振り切って原稿に向かってきた。でも、才能がない・向いていないというのは、いやいや全くその通りですなあと最近では思うようになった。

その通りですなあ。
才能がないですなあ。

それが違うと思いたくて、目指す自分を高く設定するから苦しむのであって、
もともとが「できないもの」「ないもの」で考えたらひとつ肩の荷が降りる気もする。

SNSの普及によって天才が身近になった世界で、毎日天才の所業を垣間見ていると、「自分ももしかしたら天才になれるかも?」「才能があるのかも?」と錯覚しそうになるけれど、そんなことはないのだ。勘違いしてはならない。

どこまでいっても何をしても凡人だ。
でもだからこそ、凡人だからこそ好きなように書けばよいと。
そして、凡人だからこそ、普通を知っているからこそ書けることがあるとも。

まあ、凡人の気持ちも分かるような天才もいるだろうけど。
少なくとも私は私であるために、芯から狂ってしまわぬように
どこかで気を保っていなければいけないのだろう。

2017年11月13日月曜日

書けないことを書く

2017/11/13
書けないことで、どんどん落ち込んで行く。落ち込むのと同時に嫌な想いがずるずると連鎖して自分の中から噴き出してきて、身体中を捕らわれてしまって何も考えられなくなり動けなくなる。こんな自分ではいけないと、なんとか気分を上げようと思い、小さな成功体験を積み上げようとするけれども、それでも書けないことには変わりがない。積み上げた成功体験など、砂の城のように自己嫌悪の波にさらわれて消えて行く。そしてまた、どうして自分は書けないのだ、というループにまた陥る。

それでも今の自分にしがみ付いているのは、未練があるからか。

仕事を辞めて旅することで、気がすめば良いと思っていた。確かに消費の旅は楽しく刺激的だったけど、代償として莫大なお金を消費して、何を手に入れたというのか、何を分かったというのか。

今はほんとうにこのままの自分でいるのが辛く、このままのループを繰り返していたら頭が変になりそうである。

働いていた時はそれなりに大変な思いも沢山したのに、また働きたいと思い始めている。実際にフリーで物書きだけでお金を稼ぐのはきついし。
働きたい、というのはとても健全だと思うのに、今の自分から逃げ出すことのようで、「働いたら負けかと思っている」というあの有名な台詞が頭をよぎる。

わたしが選択をするのは、自分に負けてしまうということなのか? 逃げなのか? 逃げるのと見切りを付けるのとの違いは?

2017年11月11日土曜日

お別れの音

先日たまたま家の近くのお寺の横を通ると、お葬式をやっていた。

そうか葬儀場じゃなくてお寺でもお葬式やるよね、そりゃ当たり前だよねと思いながら、歩きながらその光景をぼんやり眺める。

昼下がりの優しい陽の光が、黒の背中達を包み込む。顔が全く見えないのになんだか哀しさが漂う。どこかの誰か知らない人の死体があそこにあり、こんな麗らかな午後に最期のお別れをしているんだと思うと、なんだか不思議だ。この世界では毎日どこかの誰かが死んで、毎日どこかの誰かが哀しんでるのだ。

そのまま通り過ぎたら、後ろから高らかにクラクション音が鳴った。お別れの合図だ。

ファーーーーーー・・・・

今から火葬場へ向かうのだろう。

もう通り過ぎたので見えないけど、黒の背中達がより一層喪に伏してるのが見えるようだ。
そしてその音だけど、ああなんだか聴いたことがある、と思って胸が苦しくなった。
まだ出逢ったのは少ないけれど、身近な人との別れの時の哀しい感情がこの音に紐付けられて記憶されている。

あと、生活音に紛れてて分からなかったけど、近所で鳴っているこの「お別れの音」を、旅が終わって最近ずっと家にいる今はもしかして毎日聴いてるかもしれないという事実に気付く。

・・・ァーーーーーン

天高く馬肥ゆる秋、なんていうけれど、高い秋の空にクラクションが響いて、そして溶けていった。

これからこの音をウッカリ認識してしまうと、どこかの誰かのお別れの音だと分かってしまうのか。
故人には申し訳ない気もするが、こんな哀しい音に毎日チューニングされてしまうのは、よろしくない気もする。

ということで、そのクラクション音を忘れよう忘れようと思うのだけど、忘れようとするたびあの音が自分の中で響いてしまって、困る。


2017年10月30日月曜日

最近、家族の事しか書くことがない

あいかわらず文章が出てこず苦労している。どうして私は書物のコントロールできないのか。とりあえず、どこかへ出かけると罪悪感が沸くので、なんとか向き合おうとほぼ引きこもっている。

そうすると、身の回りにおきる特筆できることといえば、家族のことくらいしかなくなる。


〜〜〜〜〜


姪っ子が生まれたり、祖母の様子を見に行ったりで、実家に帰ることが多い。

今日も祖母のパスポートを取りに行った。なんと来年の春に、兄と私と祖母で海外に行くことになったのだ。改めて祖母の年齢をハッキリ知ったのだけど祖母は84歳。パスポートは5年10年どちらか選ぶことになるが、長寿の祈願も込めて10年で手続きした。


今は別々に暮らしており、こんな風に仲良くしている祖母。だけど、20数年間一緒に暮らしていた時は、それなりに確執があった。

祖母に育てられることによる、同年代の子供たちとの常識の違いを「どうして私だけ違うのか」と恥ずかしいと感じることがあった。祖母にそれを直接言ったこともあり、きっとそれは祖母の事を傷付けたと思う。

一方のほうで祖母も、感情豊かなぶん気性も激しさを制御できない時があった。理不尽に怒りをぶちまけることがあった。たまに「なんであんたらを育てなあかんの!出て行き!」みたいな心にない言葉を吐き出して、私は深く傷付いた。


でも離れてみると、私は冷静になり、あの時気付けなかった祖母の辛さを想えるようになった。

確かに、3人の子育てをしたあとに更にもう3人も乳飲み子を育てなければならないというのは、想像を絶するくらい大変だったことだろう。更年期のイライラや老年期の不満が次々にやってくる中、卒業したと思った子育てのプレッシャーが再びのしかかってくる。私達の存在は、重かったことだろう。とりわけその中でも私は頭がおかしくなったりしたし、さぞかし嫌になったことだろう。

祖母の方も、離れて素直になり、年を取れば取るごとに不憫なほどに丸くなった。
そうして私たちはお互いの辛さを分かり合えるようになった。私と祖母の距離は、俗に言う「離れてから縮まった」のだ。

今ではとても仲が良いし、祖母は私達のことを応援してくれる。
祖母は、盲目的とも思えるくらいに「頑張ってる」「立派に育ってる」と私達に言うようになった。


でも残念ながら私の場合、頑張れていないことばかりである。抜けていることばかりである。出来ない。話せない。書けない。守れない。みんなみたいに上手く出来ない。
けれど距離が離れている今は、私の中身がクズだということに気付かず、「上手くやってる」と思ってくれてるのか。いや、そこは本当は気付いてるのかもしれない。私には分からない。
それでもとにかく、小さい子に言い聞かすみたいに、祖母は私を褒める。

私はそれに、ありがとうと返す。そして、祖母が言うほど上手に生きれていない自分自身の、まるで罪償いでもするように、私もまた祖母にとびきり優しくするのだ。

それが良いのか悪いのか分からないし、思うことはあるが、祖母には幸せでいてほしいと願う。



もう散々一緒にいて話なんてし飽きたと思っていたけれど、離れた今、話すとまだ新しく知ることや気付くことがあって驚く。

例えば、亡くなった祖父の知らない側面の話を祖母はよくする。たいていは憎まれ口を叩くのだけれど、そこに漂うどうしようもない情を感じる。そうか、いま私は、祖母と恋バナをしているのだ、とふと思ったりもする。

最近では、認知症になってしまった知人や友人の話を祖母はよくする。祖母自体も経年による認知能力の衰えを気付いているようで、自身がそうならないように必死に強がっているようにも見える。

新しく聞く話、新しく気づくこと、ポツポツと散らばって落ちているそれらを、取り零さないように拾う。拾わないと、そのままどこかへ消えていってしまいそうだと思う。


そういえば、祖母が話す後ろでずっとラジオ関西が流れているのに気づく。私が番組を持っているということで、聴き逃してはならないと、放送外もずっと流してるらしい。
もうホンマにそういうところあるよな、と思う。


〜〜〜〜〜


「じゃ、そろそろ帰るわ」
家を出る。
良いって言ってるのに、祖母は玄関先まで見送りにくる。並んで立つ祖母の背は、あまりにも小さい。もう冷えるから中入りと言うのに、歩き出して振り向くとまだ玄関先に立っている。きっと、そこの角を曲がって見えなくなるまで入らないのだろう。
もうホンマに、そういうところあるよな、と思う。


歩きながら、さっき発行したてのパスポートを手に「10年も生きれるやろか」とポツリと呟いた祖母の姿を思い返していた。私の頭よりもうひとつぶんくらい縮んでしまった祖母。10年経ったら、さらに縮んでしまうのだろうか。縮んで縮んで、そのまま、消えてしまいそうだ。



困ったことに、最近いつも、その角を曲がった瞬間になにかが溢れてくるみたいに泣けてくる。

悲しさと寂しさと、やるせなさと、申し訳なさと、
何とも言えない気持ちに勝手に陥って、めそめそ泣きながら駅へと向かう。


2017年1月10日火曜日

魔法使いのスティック



この年になると、皆一度くらいは精神を病む経験をしている。
ということで、もう時効だろうから書くけれど、中学のとき自殺未遂して入院したことがある。

数日経ってやっと歩けるようになって、病院の休憩ルームみたいなとこでボーッとしていた。ちょうど西日が差し込む夕暮れ時だった。同じく入院しているっぽい、パジャマ姿のおじさんがフラフラと近づいてきた。

おじさんは髪がぐじゃぐじゃで歯がぼろぼろで、特に上の前歯は綺麗に抜けて、犬歯だけが残っている状態だ。挙動不審だったし、薬物中毒とか何かはわからないけれど、精神的に病み切っているような感じだった。いい大人がボロボロになっているのを見て、何やってんだこの人は、とぼんやり思った。自分だって精神を病んで腕も足も傷だらけで自殺未遂までしたくせに、酷いものである。

おじさんは、スティックパンの袋を抱えていた。スティックパンとは、皆一度は口に入れたことはあるだろう。甘くて柔らかい棒状の安っぽい、あのパンだ。
そうして、震える手でスティックパンをひとつとりだし、私に差し出してきた。

どうしようかと思ったが、中学生の私は断る理由を思い浮かべることができず、ありがとうございますと、そのスティックパンを受け取った。
おじさんが私を見つめてくる。何を考えてるのか分からない目で。私は口の横を引きつらせながら、おそるおそるもらったスティックパンを口に入れた。

スティックパンは、普通のスティックパンだった。
甘くて柔らかいスティックパンだった。口の中の水分を奪われながら、もちゃもちゃと咀嚼する。

食べたことを示すためにおじさんを見ると、こちらのことなんてどうでも良さげにボンヤリしていた。そして虚空を見つめながらポツリとつぶやいた。

「嫌になるよねぇ」

そしておじさんもスティックパンを取り出し、おもむろに食べようとした。

ふと、おじさんは前歯がないのにどうやって噛むのだろうと、失礼極まりない疑問が浮かんだ。おじさんの前歯の場所は、ぽっかりと空いた暗闇があるだけだ。
その空洞にスティックパンが吸い寄せられていく様を、無遠慮にもジィッと見つめる。

すると、驚くべきことが起きた。

本来なら前歯があるスペースに、スティックパンが、それはそれは見事にパスンとはまった。無くなった前歯と、スティックパンの横の長さはぴったり同じだった。
そして残った犬歯に支えられ、口の奥にスルスルと長いスティックパンが飲み込まれていくのだ。それはまるで手品のように。

見ていると、なにか正体不明の感情達がワッと胸に込み上がってくるのを感じた。

ひとつは感嘆だ。歯抜けのぼろぼろのおじさんに、機能美の類の美しさを感じたのだった。
歯がないからこそ選ばれたかもしれない、柔らかく食べやすいスティックパン。でももしかしてむしろ逆で、スティックパンの為に歯を抜いたのではと錯覚するくらい、誰にも到達できないような美しい食べ方だった。
そして、その感情が通り過ぎたあと、最後に残ったのは、強烈な寂しさだった。

私もこの人も、ここで何しているんだろう。


一本、また一本と、おじさんは自らのスティックパン・スペースにスティックパンをはめて、やはりスルスルと飲むように食べる。
窓から差し込む西日が、おじさんと私とスティックパンをオレンジ色に照らす。その一方で、黒々とした影が病院の床に長く伸びる。伸びる。
私はその伸びた影に杭を打たれたかのように、微動だにできずにいた。

魔法のようなおじさんのスティックパン喰いを凝視していると、物欲しがっているように思われたのか、おじさんは震える手でもう一本スティックパンを差し出してきた。
目の前に、おじさんの前歯のところが、スティックパン・スペースが見えた。その奥は黒い影が広がっていて、何も見えなかった。

「もうお腹がいっぱいなので大丈夫です」

私はそう言って、逃げるように自分の病室に戻ってしまった。今さらだけどとても怖くなっていた。おじさんにというか、その時に初めて「死」を感じた気がしたのだ。自殺未遂をしても死というのが良く分からなかったのに、同じようにボロボロの人に出会って、初めて自分の立っている場所がギリギリ崖っぷちだったということに気付いたのだ

スティックパンおじさんには二度と会うことはなく、わたしは数日後に退院した。
それからまぁまぁいろいろいろいろあったりもして、それはいずれどこかで書くかもしれないけれど、とりあえずもう自殺しようなんて馬鹿な真似は二度としないでおこうと今に至っている。




たまに、スティックパンを無性に食べたくなって買ってしまう。そして、スティックパンおじさんを思い出すのだ。

あの時あの人はボロボロだったけど、幸せになれただろうか。
今もスティックパン・スペースにスティックパンをはめて、食べてるんだろうか。
…それとも、もう死んじゃったかな。



私はというと、今日も不器用に生き続けている。
あの頃みたいに「もう消えてしまいたい」と思うことは勿論沢山あるけれど、なんというか、死ぬまで生きようと決めたのだ。だから生きるのだ。

買ってきた安いスティックパンをもちゃもちゃと咀嚼する。
スティックパンは、甘くて柔らかくて、なんだか泣きそうな味がする。

2016年1月9日土曜日

じっちゃんのちんちん

私は祖父のことを「じっちゃん」、祖母のことを「あーちゃん」と呼んでいる。そう呼ぶようになったのは、いつからか分からない。
物心ついてからじっちゃんはずっと「じっちゃん」で、いつもヤニ臭い黄ばんだ引き戸の奥でプカプカタバコを吹かしていた。
あーちゃんもずっと「あーちゃん」で、自由奔放ながらもじっちゃんの世話をずっと焼いていた。

色んなところで書いているが、私の母は幼い頃に亡くなっており、また父も再婚して出ていっていたので、実質この祖父母の家で育ったようなものだった。


祖母であるあーちゃんが母親の代わりだった。そして祖父であるじっちゃんは父親の代わり…ということは無く、特に今まで怒られたことも褒められたこともない。じっちゃんは、あくまでもじっちゃんという立ち位置の家族だった。


〜〜〜〜〜


『じっちゃんが倒れた』
 
仕事中に父からラインを貰った。ちょうど薬の配達中で外へ出ていたので父へ電話してみた。
「倒れたって、どんな感じなん?」
「ちょっとヤバい」
ちょっとヤバい。それは一体どのくらいを指すのだろうか。
「運ばれる時に心臓マッサージされてたらしい」
それは、ちょっと、ヤバいなぁ…と愕然としながら電話を切った。

その日は薬局が大変忙しい日だったけど、もういいやと思って無理矢理早退した。飛び乗った電車の中で、父からの新しいラインの通知が入った。
 
『大動脈瘤が破裂したらしい』
 
どんな症状なのだろうと思って「大動脈瘤 破裂」で検索すると「ショック死」という言葉がドーンと表示され、私はそれ以上調べることを辞めた。

乗っている阪急電車が高架を渡る音がして、窓の外を眺めるとちょうど淀川の上だった。ぼんやり電車の揺れを感じながら、じっちゃんのことを思い出してた。

私は小さい頃ひとりでは眠れなかった。あーちゃんと、私と、じっちゃんと、三人で川の字になって寝ていた。
夜が怖くて寂しくて、寝る前に私はよく愚図っていた。そんな時は、あーちゃんが左手を、じっちゃんが右手を繋いでくれて、そうしてやっと落ち着いて寝ることができた。そんな何十年も昔の微笑ましいエピソードがぽっと浮かんできて、もしかしてじっちゃん死ぬのかな、と改めて考えたら涙がサラサラと流れた。


~~~~~


川西能勢口駅に到着して、弟夫婦と合流し病院へ向かった。

「どうなってんの?」
と作業着姿の弟に聞くと

「俺も良く分からんけど、とりあえず無理矢理帰ってきた」
と言って鼻をすすった。

車内は無言となって、私はナビの画面で流れているDVDをぼんやりと観た。3代目JソウルブラザーズのDVDだった。この話も色んなところでしているけど、弟は3代目Jソウルブラザーズのオーディションを受けたことがある。この実の弟はどんだけJソウルブラザーズが好きやねんと心の中で突っ込みながら、その映像を眺めていた。カメラが動いて、客席で涙を流すファン達の顔がアップで抜かれた。DVDの中でも、ちょうど感動のラストシーンのようだった。

病院に着いて、家族が集中治療室の前で集まっている所へ近寄った。あーちゃんが宙を見つめてボンヤリしている。

「じっちゃんは?処置中?」
弟が聞くと、叔父が

「いや、処置はもう終わった。あかんかった。」
とポツリと言った。

「そっか」
弟がポロポロッと涙を流した。普段自信たっぷりの弟のその姿を見ていられなくなって、私は病院の外へ出た。
正面玄関だったので病院に見舞いに来た人達に悪いなぁと思ったけど、どうにもこうにも何だか涙がこみ上げてきて、ウェウェと声を上げて泣いた。

じっちゃんが、死んだ。

霊安室に移動した。霊安室は倉庫みたいな見た目だった。冷蔵庫みたいに寒く、下水のパイプみたいなのが露出しており、時折トイレの水が流れる音が響く酷い場所だった。じっちゃんはその真ん中で寝かされていた。
顔にかかる白い布をチラと捲ってみると、いつものじっちゃんがいた。顔色は良く、死んでるようには見えない。口をパカンと開けていて、なんだか滑稽にも見える。つんつんと頰っぺたをつつくと、まだその体は暖かった。

あーちゃんは慌ててそのまま飛び出してきたようで薄着である。肩に手を置くと、死んだじっちゃんより生きているあーちゃんの方が冷たいような感じがした。
「寒くないん?これ着とき」
そう言って私は着ているコートを脱いで掛けた。
「ええよ、みわも寒いやろ」
「私は暑いから大丈夫」
嘘だったけど、無理矢理コートを着させた。あーちゃんの肩はとても小さく、私のコートでも子供が着るみたいにブカブカになった。


〜〜〜〜〜


じっちゃんは、鹿児島生まれ鹿児島育ち。
頑固で、一度決めたことは曲げない。
亭主関白で、じっちゃんの身の回りのことはあーちゃんが全てしていた。
まさに九州男児を体現したような人だった。

そしてじっちゃんは、酷い男だった。
じっちゃんは俗に言う「ヤリチン」だった。

じっちゃんには愛人が居た。じっちゃんは小さなアルマイト工場を経営していたのだけど(ちなみに途中で自己破産した) その工場の事務員に手を出していたのだ。愛人はいわゆる後家、未亡人だったのだけど、愛人に残されていた子供達も大層可愛がり、
「自分の娘や息子だと思っている」
などと周囲に告げていたことは、祖母を酷く苦しめた。

しかも、晩年にはなんと祖母の実姉にも手を出していたことが判明した。そのことが切っ掛けでは無いかもしれないが、そのことを決め手として、祖母は唯一の血の繋がった姉妹である姉と縁を切っている。

非人道的なそれらのことを、ほんの5年程前まで、私は全く知らなかった。孫には教えないようにしていたのかもしれない。
確かにその事実を聞いてから、どうしても今までのような普通の爺ちゃんとしては思えなくなっていた。自身が婆ちゃんっ子だから、というのもあったのだろうけど、女として許せない、という気持ちもかなりあった。
 
とはいえ、死んでしまうとなると話は別である。
 
はじめて知ったが、家族が死ぬと、とても悲しい。


〜〜〜〜〜


家に帰ってきて、係りの人がじっちゃんを運んできた。死後硬直でその体は丸太の様に真っ直ぐになっており、白い布に包まれた足がガンと引き戸に引っかかった。

葬式では悲しんでいる暇などない、とは良く言う話だけど、本当にその通りだった。葬式の形式、喪主決め、お坊さんの手配やお包み、食事や供花…など決める事が山ほどあって、この日は実感も湧かず皆で淡々と決めていった。

「遺影はありますか?」
「あるで、死ぬ前にじっちゃんと遺影を撮りに行ってん」
 
あーちゃんが言って取り出したのは、腕を組みバッチリとポーズをキメたじっちゃんの写真だった。写真スタジオに撮りに行ったようだった。
 
「へえ!こんなの撮ってたんや」
「じっちゃん最初は嫌がってたけど、いざ死ぬときに変な写真使われたら嫌やろって話したら納得してな…。これ撮った後、あーちゃんの友達の中で遺影撮るのが流行ったんやで」
 
写真を見ながらあーちゃんは少し微笑んだ。じっちゃんは珍しく笑顔で、とても良い写真だと思った。


~~~~~


日本での葬儀のシステムは凄いなぁと思う。「死」というものを理解していて、死んだ人も生き残った人も納得出来るように手順を踏んでいる。
亡くなってからすぐ、その家族は死への実感が湧かない。ショックで取り乱したり呆然とするが、家に連れて帰って一晩過ごすことで気持ちを落ち着けることができる。その後も、納棺、お通夜、告別式、葬儀式、出棺、火葬、収骨、還骨法要…時間をかけ、サヨナライベントをこなしていく。その間ずっと故人のことを想いながら、徐々にその死を受け入れて行く。

葬儀が終わったあとも、初七日、四十九日と漸減的に法事が続く。死を受け入れた後は、その死と共に生きていくみたいだと思った。


明けてお通夜の日、変に責任感が強い私は、早帰りだけ申し出て職場に出勤した。さあいざ帰ろうと思った時に、トラブルで予定よりも30分程遅くなった。
喪服を抱えて梅田の街を小走りしていたら、ああなんでこんな事を、仕事って死よりも大事なのか、と情けなくて涙が出てきた。

結局お通夜には遅刻した。タクシーで会場に乗り付けると、もう読経の途中だった。受付には誰も居ない。会場に入ると、あまりにも供花の数が多く知らない人ばかりだったので、やばい間違えたかも…と思って目を薄めて遺影を眺めた。そしたらそこにはじっちゃんが居たので、少しホッとして焼香の列に並んだ。
親族代表として並んでいた、あーちゃんが目に入った。その姿はあまりにも小さく、今にも倒れそうなくらい儚く、それを見てまた泣いた。

〜〜〜〜〜


お通夜の日は、文字通り夜通し故人に付き添って、交代で線香に火をつける。とは言っても今は12時間持つ渦巻線香という便利なものがあるので、別にずっと起きておく必要はない。

会食を食べ酒を飲んで、良いことも悪いことも、思い出してはその場に居る人と共有する。
ああ、そういう人だったねと笑ったり泣いたりする。故人を思い出すその時間こそが、弔いというものなのかもしれない。

お通夜の日、あーちゃんはずっと、じっちゃんとのことを思い出して話し続けた。

―ただしその内容は、ほぼじっちゃんの悪口だった。

「じっちゃんはプライドが高くて、工場始める前の勤め人を一週間で辞めたりしてなぁ。ほんでその給料、自分が行くのが嫌やからってあーちゃんに貰いに行かせたりしたんやで。どの面下げて行けばええねんって思ったわ」

「そうなんや、酷いなぁ…」
 

「工場を建ててから、社員旅行へ行くってなったら、あのS(愛人)も社員やから来る訳やんか。でもあーちゃんが行かんわけにはいかんやろ。じっちゃん→S→あーちゃんの席順で座らせられたりしてな。じっちゃんは女に囲まれて自慢気やったんかもしれへんけど、胸糞悪くてたまらんかった。」

 
「それは辛かったなぁ、よう我慢したなぁ…」

「姉と寝た、なんて言うんやで。しかも二人で共謀して、あーちゃんのことを責めるようなこと言ってきて。もうあのオバハンとは、縁切ったわ。」

「いやー、じっちゃん、クズやなぁ…よう今まで一緒に居たなぁ…」

 
本当に我が祖父ながら、クズである。百歩譲って、人間なので浮気心を持つのは分かる。だがそれは決して伴侶に悟られるべきではないと思うし、自分から告げるなんて言語道断だ。まして相手が妻の実姉なんてのは非人道的過ぎる。
ああ、我が家で殺人事件とか起きなくて良かった。

「子供育てたら絶対家出たる、って思ってたけど、子供育てきったらそんな気力もなくなってもうたわ」

「なんで、じっちゃんはあーちゃんにそういうこと話したり、分かるようにしたんやろね?」

「知らんわ。俺は凄いって自慢したかったんちゃうの?」

「ヤキモチ妬かせたかったのかな?」

「勝手過ぎるわ、そんなん…」

そう言って、あーちゃんは一点を見つめた。


じっちゃんとあーちゃんの間にあったものは、もはや愛では無かっただろう。

恋とか愛とかを越えて、嫉妬とか悲しみとか憎しみとかを越えて、何もかもを越えてグチャグチャに混ざり合って太く固くなった情。ビッシリと根を張る太い巨木のような情。そう言った強い根性がないと、誰かと添い遂げるのは難しいのかもしれない。
 
私は果たして、そんな風に誰かと一緒に居続けることが出来るのだろうかと、半分寝た頭で思いながら、あーちゃんの話にひたすら相槌を打っていた。

 
「でもなぁ、思ってん。昨日、あーちゃんが昼寝してる側にじっちゃんが来て横になってん。じっちゃんも昼寝しとるわー思ってそのまま一緒に寝てた。昼ご飯食べようと思って起こしたら、もうそのまま目ぇ開けへんかった。でも、もしかしてあれは、最後に側に来たかったんかなって思うねん…」

「そうかもね…」

 
いつもの実家の、いつもの居間で、2人が昼寝している姿を思い出した。日光が暖かく射し込むそれは、実家に帰ると良く見る光景で、いつまでも有ると思ってたけど、もう見ることは無いのかと思うとまた涙が出てきた。
あーあと思って目を瞑り、頭の中の2人の横で私も寝転ぶ想像をした。あーちゃんはまだ話を続けてたけど、いつの間にかそのまま、私は眠りに落ちていた。


〜〜〜〜〜


日が明けて、お葬式はとてもしんどかった。泣きすぎだったり二日酔いだったり寝不足だったりして、お坊さんの読経を聞きながら少しウトウトしてしまったりした。ハッとして目を覚ますと、横の兄も同じ様にウトウトしていて、兄弟かよと思った。

焼香も全て終わり、棺桶を開けて、献花をすることになった。会場の人が沢山の供花を適度な長さに切り、ひとりひとりに配っていく。

最初にあーちゃんが近寄り、じっちゃんの顔の側に花を置いた。昨日はあんなに恨み辛みを言っていたのに、じっちゃんの顔を見ると、あーちゃんは目をショボショボさせて泣いた。
「みんな来てくれたで、良かったなぁ」
そんなことを言いながら、じっちゃんの頬を撫でた。それを見て、さっきまで居眠りしていたのに、私もまた泣いてしまった。昨日から要所要所で泣いて目が痛い。葬式は、長いし泣き疲れる。
花でいっぱいになった棺の蓋が閉められた。あーちゃんの鼻をすする音が響く中、合掌をした。
 

 
その後、テレビでしか聞いたことがないクラクションの音が鳴り響き、じっちゃんを乗せた車が火葬場に向かった。叔父の車に乗り込み、その後ろについていった。行きすがら、車窓から見た空は雲ひとつない青空だった。


火葬場に着き、ガラガラと棺が運ばれて来た。その周りに、皆が集まる。
いよいよお別れ、という感じがした。
あーちゃんは、もう一人で立っていられなかった。叔父と、兄に支えられて何とか立たされているような状態だった。

 
それでは故人様が参られますお見送りください、とか何とか係りの人が言って、
機械に乗せられて棺が釜の奥まで運ばれた。その様子は無機質で容赦なくて、もう死んでいるんだけど、何だか恐ろしい機械に今から惨殺されるのを見せられているような、そんな気分になった。
 
あーちゃんも居てもたってもいられなくなったのか、
「お父さん!!」
と泣き叫んだ。
 
重い重い扉が、閉まった。
閉まったと同時に、中からエレベーターが昇るような、モーターの回転数が急上昇するような機械音がした。この音、トラウマになりそうだと思った。

「逝ってもうた」
あーちゃんがポツリと呟いた。


~~~~~

 
作業着を着た人が、ガラガラと遺骨が乗った台を事務的に引き出してくる。「綺麗に焼けましたね」みたいなことを言ったので、さっきから何なんだもっと言い方は無いのかよと思った。

でも焼き上がった後は、悲しみに浸るというよりか、何だか妙に気持ちが落ち着いていた。肉体とは不思議なものだ。生の顔を見て体があるのを見ていた時は、死んでいるけど何処かまだ生きてるような気持ちだった。けど今残った白い骨を見たら、ああ、死んだのだなぁと妙に納得出来るものがあった。

あーちゃんが近寄る。皆が、あーちゃんが一番はじめに骨を拾うよう促した。

「足から徐々に上に上がっていって、最後に頭を入れることになります。」

あーちゃんが足の骨を箸でつまんで入れた。その後、私も膝くらいの骨を入れた。



あーちゃんが、ふと、腰あたりの骨を入れてる時に手を止めてこう呟いた。
 
「じっちゃんのちんちん、どれやろ。入れてあげな」
 
父が返した。
 
「あーちゃん、ちんちんには、骨が無いんやで」

「そうか。ちんちんには、骨が無いんか…」
 
そう小さく呟いて、あーちゃんはまた黙々と骨を拾った。
皆、黙々と骨を拾った。

 
〜〜〜〜〜

 
じっちゃんは死んだ。60余年連れ添った嫁の側で死んだ。
 
女を苦しませたその肉体は燃えた。
恋や愛や、嫉妬や悲しみや憎しみも燃えた。
ちんちんも燃えた。残ったのは骨だけだった。

でも、ちんちんは、
3人の子供と、7人の孫と、1人のひ孫までを、しっかりこの世に残したのだった。
 


 


おしまい。


 

2015年7月24日金曜日

くら寿司の、やけにアンビエントなBGMが気になったから

くら寿司へ良く行く。
週一回くらい、くら寿司へ行き、寿司を喰らう。

くら寿司とは言わずもがな、全国チェーン展開している回転寿司屋である。
見回すとその客層は幅広いことが分かる。家族連れ、子どもの叫び声があがる。サークル帰りの大学生グループ、ウェイウェイ嬌声をあげる。スウェットのカップル、無言である。しなびた老夫婦、流れる皿に目もくれずスタッフを呼ぶ。ひと皿100円からという世界はグルグルと混沌としており、楽しいのに拭えない日常臭さがグルグルと混ざりあう。なんとも言えない独特の空気の対流を生む。
勿論わたしも例外でなく、疲れたアラサーの社会人という立場でその回転の一部に混ざりあっているのだ。

ここ一〜二年くらいか、そのくら寿司にさらなる異変が起きている。というのも、そのBGM。やけに、アンビエントな音楽が流れているのである。

シンセサイザーの音に、水や風の自然を利用した効果音。浮遊感があるそのメロディは、そのまま浮遊して行って、大気圏を超え宇宙まで到達してしまうような、バッキバキのアンビエントな音楽なのだ。
なんだろう、この音楽は?
なぜ、くら寿司でこんなアンビエントが流れているのか?

 
ところでそもそも、最近良く聞くようになったがアンビエントとは何だろう。

”アンビエント(ambient)は、英語で「周囲の」、「環境の」という意味。”
Wikipediaより
 
ちまたじゃ若い子がアンビエントがアンビエントがと口を揃えて言う音楽、本当にアンビエントが分かっているのかと問いたい。わたし?わたしは勿論アンビエントのことは良く存じております。
ただ残念ながら、アンビエント・ミュージックはアンビエントであるがゆえに、そもそも簡単に言葉じゃ説明できないものでございます。
え?じゃあアンビエントの代表アーティストをあげてみろって?

えぇ〜と、その、
あれは何て読むのかな、ア、ア、アーフェックスツインとかですかね。
 


▲Aphextwin

ごめんなさい。知りません。アンビエントが何たるかなんて分かりません。
「良く分からないけどなんか浮遊感があって格好いい音楽」は全部アンビエントだと思っています。でも、あながち間違ってもないとは思います。

それにしてもアンビエントはズルい。アンビエントという響きからそもそもずるい。格好良さが滲み出ているからズルい。

例えば、
女「音楽やってるの?どんな音楽??」
男「アンビエントかな」
これだけで格好良くなるからアンビエントはズルい。

女「えー!なんか良く分からないけど格好いいね!」
必ずこんな会話が繰り広げられるから、アンビエントはズルい。

わたしもアンビエントをもっと理解したい。そして格好良くなりたい。
そう思った私は、youtubeの検索窓に(アンビエント)と入力し上から聴いていくことにする。便利な世の中になったと思う。youtubeを流すだけでアンビエントを聴くことが出来るようになったんだから。そうして聴いた音楽がAphextwinである。
「Aphextwin?あー聴いたことあるよ」と言えるのだからyoutubeは便利である。ただし読み方は調べておかないと、先ほどのような失態を晒すことになるので注意は必要だ。


さて、話をくら寿司に戻そう。
くら寿司で流れるアンビエントなBGMに気付いてから、気になって気になってしょうがなくなった。あのアンビエントは何なのか?
こうなっては寿司は喉を通らない、変わりに平日限定かけうどん(130円)を啜りながら、googleの検索窓に(アンビエント/くら寿司)と入力した。

しかしながら有力な情報は出てこない。ツイッターやヤフー知恵袋でも調べてみるが出てこない。
その間にも、くら寿司のアンビエントは流れ続ける。皿が流れるのとアンビエントが流れるのがリンクして、もはや居てもたっても居られなくなったが、あと一枚だけとびっくらポンの為に寿司を食べた。びっくらポンは外れた。
流れる寿司には手が届くが、流れるアンビエントには手を伸ばせば伸ばすほど浮遊して遠ざかるのだ。

お会計の時に、店員に聞いてみようかと思った。でも、きっとこの可愛い新人アルバイトに聞いても、ええっと、と言って困るだけだろうし、きっとそこに居る先輩アルバイトがあとから「お疲れ。マジで変な人が沢山来るけど、相手にしちゃだめだよ」なんて優しく言って、アンビエントな関係に発展しかねるのでそのまま帰った。

家に帰って、PCからくら寿司のサイトを開く。
さすがに自サイトからであれば何か情報を得られるだろうと思ったのだが、それは間違いで、結局どこにもアンビエントについての記載はなかった。
八方塞がりだ。不穏なアンビエントが頭に鳴り響いているようだった。気になってしょうがない。誰か、誰かー!お客様の中にアンビエントに詳しい方はいらっしゃいませんか?ああ、ありがとうございます、教えてくださるのですね。これは、一体アンビエントの何ビエントなんですか。

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気になりすぎた私は、ついにお問い合わせ窓口をノックしてしまいました。ごめんなさい。
投稿メールにはめちゃくちゃ丁寧な文章を書きましたので、聞く前に結構調べたけど分かりませんでしたので、許してください。


数日後、くら寿司から返答が来た。それはとても丁寧な、アンビエントなメールでした。

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当店の店内BGMについては、USENを利用して「ヒーリングミュージック~癒しの音楽~」チャンネルの音楽を放送させていただいております。
 少しでもお客様に気持ち良くお食事いただければという思いから、音楽の選定をしております。



▲宮下富実夫 「神」

これだ!!!!!!
くら寿司!アンビエント!くら寿司!アンビエント!!


▲宮下富実夫 「大」

宇宙!寿司!アンビエント!宇宙!寿司!アンビエント!
宇宙!寿司!アンビエント!宇宙!寿司!アンビエント!!!!


謎は全てとけた。
故 宮下富実夫の音楽だけが延々と流れるU-SENのC-19「ヒーリングミュージック~癒し音楽~」のチャンネルが、くら寿司のBGMの正体だったのだ。


▲宮下富実夫 「神秘」

アンビエントアンビエント言うてたけど、一応分類ではヒーリングミュージックになるらしい。でも、アンビエントというものがそもそも「良く分からないけどなんか浮遊感があって格好いいもの」だと私は捉えていたので、あながち間違いではないだろう。

この宇宙のような宮下富実夫を聴いていると、家に居てもくら寿司にいるような気分になる。口の中が酢飯で満たされるような、きゅんとした気分になる。

くら寿司とは宮下富実夫。宮下富実夫とは宇宙。
つまり、くら寿司とは宇宙なのである。


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今も、週一回くらい、くら寿司へ行き、寿司を喰らう。
宇宙を感じながら食べるアンビエント寿司の味が、最高に好き。