2014年12月6日土曜日

犬が死んだ話

犬が死んだ。実家にいた犬が死んだ。
17歳だったから、大往生だ。

ここ最近の冷え込みでめっきり調子が悪くなっていて、ちょくちょく様子を見に帰っていた。高齢でもう目も耳も鼻も効かなくなっていたけど、それでもヨロヨロと出迎えてくれたから、なんとなくまだまだいつまでも妖怪のように生きる気がしていた。

だけど、この日は様子が違っていた。


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SNSで、最後まで側に居てもらえて犬は幸せだったろうねなんて優しいお言葉をいただいたが、こんなのが飼い主の一人ということは、犬にしたら決して幸せでは無かったと思う。


というのも、犬を飼っているのに犬を食べたことがある。むしろイベントで犬食について特集したこともある。犬食は歴史や倫理や動物愛護など考えていくとその文化はとても深いのだけど、勿論犬にとっては悪でしかないし、愛犬家からは悲しむ権利なんて無いと言われるかもしれない。自分でもそう思う。そして勝手に悲しんでいる自分が、とても自分勝手だと思う。


自分勝手と言えば、昔から犬には自分勝手なことばかりしていた。


飼い始めた頃私はまだ小学生で体も小さくて、よく犬と一緒に犬小屋の中に入りこんでいた。勿論親には辞めなさいと怒られたけど、目を盗んでは一緒に寝ていた。きゅうきゅうの犬小屋で犬はちょっと変な顔をしていたけど、満更でもない感じだった。犬が丸まってる姿を真似して私も丸まった。


多感な時期を過ごした学生時代は、失恋したり親と上手く行かなかったりするごとに、悲しみに浸りこれ見よがしに犬の横に座って泣いたりした。犬はやっぱり困ったような変な顔をして、それでも犬小屋には入らずにずっと横に座ってくれていた。


とてもわんぱくなメスの、中型の雑種犬だった。わんぱく過ぎて良く脱走したり、狂ったように遠吠えしたり、猫やカラスと戦って血だらけになったりしていた。でも決して人は噛まず、近所のオバチャン達が勝手にジャーキーを買って会いにくるくらい愛想が良かった。


わたしが大人になって自由きままに暮らすようになってからも、実家に帰ると飽きもせずに尻尾を振って飛びかかってきた。
私は自分勝手だけど、犬は優しいやつだった。


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連絡を受けて急いで帰ると、グッタリとしている犬がいた。聞いたこと無いような変な声で、一定間隔で苦しそうに鳴いていた。呼吸が荒く、目も閉じられないのか瞼が痙攣していた。呼んでも撫でても反応しなかった。あと糞とか尿とか色んな液体を垂れ流していて非常に臭かった。

鳴き止まなかったから、毛布で体をくるんで膝の上に置いた。そしたら少し安心したのか、不思議と鳴き止んで、呼吸が静かになった。
膝の上が犬の体温でじんわり暖かくなった。湯たんぽのようだと思った。


仕事で疲れていたのでそのままちょっとうとうとしていたら、気付いたら死んでいた。目と口をだらんと開けたまま死んでいた。
あっという間に固くなって、目は閉じさせることが出来なかった。湯たんぽのような体もすぐに冷たくなった。
犬が死んだというのに、死んだことを考えるよりも、動物は湯たんぽよりも保温性が無いのかなぁなんて、そんなことを思った。

毛布でくるんだ犬をみかん箱に入れた。家族と斎場に持っていく話をした。




翌日仕事でどうしても一旦大阪の今の家に行かないと駄目で、後のことは任せて帰ることにした。
夜遅くて終電も無かった。しかたなく借りたバイクで深夜の街を走った。

今年一番の冷え込みで、刺すような寒さが痛いくらいだった。バイクで走りながら、死んだ犬のことを思い出していた。

散歩のときは、絶対に一歩前を歩こうとする犬。いつも競歩のようになった。
写真を撮ろうとすると凄く嫌がる犬。ブレた写真しか残っていない。



寒さで涙が出てきた。そしてさっきの湯たんぽのような暖かさの犬が恋しくなった。でも、その後の冷たくなった犬を思い出して、あの暖かさはもう無いのかと思うと、ふいに強烈に寂しく悲しくなった。なんだかどんどん涙が出たけど、流れていくままにした。

優しい犬だった。幸せじゃなかったかもしれない。でも私は自分勝手に、あの犬が好きだった。

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