2017年11月13日月曜日

書けないことを書く

2017/11/13
書けないことで、どんどん落ち込んで行く。落ち込むのと同時に嫌な想いがずるずると連鎖して自分の中から噴き出してきて、身体中を捕らわれてしまって何も考えられなくなり動けなくなる。こんな自分ではいけないと、なんとか気分を上げようと思い、小さな成功体験を積み上げようとするけれども、それでも書けないことには変わりがない。積み上げた成功体験など、砂の城のように自己嫌悪の波にさらわれて消えて行く。そしてまた、どうして自分は書けないのだ、というループにまた陥る。

それでも今の自分にしがみ付いているのは、未練があるからか。

仕事を辞めて旅することで、気がすめば良いと思っていた。確かに消費の旅は楽しく刺激的だったけど、代償として莫大なお金を消費して、何を手に入れたというのか、何を分かったというのか。

今はほんとうにこのままの自分でいるのが辛く、このままのループを繰り返していたら頭が変になりそうである。

働いていた時はそれなりに大変な思いも沢山したのに、また働きたいと思い始めている。実際にフリーで物書きだけでお金を稼ぐのはきついし。
働きたい、というのはとても健全だと思うのに、今の自分から逃げ出すことのようで、「働いたら負けかと思っている」というあの有名な台詞が頭をよぎる。

わたしが選択をするのは、自分に負けてしまうということなのか? 逃げなのか? 逃げるのと見切りを付けるのとの違いは?

2017年11月11日土曜日

お別れの音

先日たまたま家の近くのお寺の横を通ると、お葬式をやっていた。

そうか葬儀場じゃなくてお寺でもお葬式やるよね、そりゃ当たり前だよねと思いながら、歩きながらその光景をぼんやり眺める。

昼下がりの優しい陽の光が、黒の背中達を包み込む。顔が全く見えないのになんだか哀しさが漂う。どこかの誰か知らない人の死体があそこにあり、こんな麗らかな午後に最期のお別れをしているんだと思うと、なんだか不思議だ。この世界では毎日どこかの誰かが死んで、毎日どこかの誰かが哀しんでるのだ。

そのまま通り過ぎたら、後ろから高らかにクラクション音が鳴った。お別れの合図だ。

ファーーーーーー・・・・

今から火葬場へ向かうのだろう。

もう通り過ぎたので見えないけど、黒の背中達がより一層喪に伏してるのが見えるようだ。
そしてその音だけど、ああなんだか聴いたことがある、と思って胸が苦しくなった。
まだ出逢ったのは少ないけれど、身近な人との別れの時の哀しい感情がこの音に紐付けられて記憶されている。

あと、生活音に紛れてて分からなかったけど、近所で鳴っているこの「お別れの音」を、旅が終わって最近ずっと家にいる今はもしかして毎日聴いてるかもしれないという事実に気付く。

・・・ァーーーーーン

天高く馬肥ゆる秋、なんていうけれど、高い秋の空にクラクションが響いて、そして溶けていった。

これからこの音をウッカリ認識してしまうと、どこかの誰かのお別れの音だと分かってしまうのか。
故人には申し訳ない気もするが、こんな哀しい音に毎日チューニングされてしまうのは、よろしくない気もする。

ということで、そのクラクション音を忘れよう忘れようと思うのだけど、忘れようとするたびあの音が自分の中で響いてしまって、困る。


2017年10月30日月曜日

最近、家族の事しか書くことがない

あいかわらず文章が出てこず苦労している。どうして私は書物のコントロールできないのか。とりあえず、どこかへ出かけると罪悪感が沸くので、なんとか向き合おうとほぼ引きこもっている。

そうすると、身の回りにおきる特筆できることといえば、家族のことくらいしかなくなる。


〜〜〜〜〜


姪っ子が生まれたり、祖母の様子を見に行ったりで、実家に帰ることが多い。

今日も祖母のパスポートを取りに行った。なんと来年の春に、兄と私と祖母で海外に行くことになったのだ。改めて祖母の年齢をハッキリ知ったのだけど祖母は84歳。パスポートは5年10年どちらか選ぶことになるが、長寿の祈願も込めて10年で手続きした。


今は別々に暮らしており、こんな風に仲良くしている祖母。だけど、20数年間一緒に暮らしていた時は、それなりに確執があった。

祖母に育てられることによる、同年代の子供たちとの常識の違いを「どうして私だけ違うのか」と恥ずかしいと感じることがあった。祖母にそれを直接言ったこともあり、きっとそれは祖母の事を傷付けたと思う。

一方のほうで祖母も、感情豊かなぶん気性も激しさを制御できない時があった。理不尽に怒りをぶちまけることがあった。たまに「なんであんたらを育てなあかんの!出て行き!」みたいな心にない言葉を吐き出して、私は深く傷付いた。


でも離れてみると、私は冷静になり、あの時気付けなかった祖母の辛さを想えるようになった。

確かに、3人の子育てをしたあとに更にもう3人も乳飲み子を育てなければならないというのは、想像を絶するくらい大変だったことだろう。更年期のイライラや老年期の不満が次々にやってくる中、卒業したと思った子育てのプレッシャーが再びのしかかってくる。私達の存在は、重かったことだろう。とりわけその中でも私は頭がおかしくなったりしたし、さぞかし嫌になったことだろう。

祖母の方も、離れて素直になり、年を取れば取るごとに不憫なほどに丸くなった。
そうして私たちはお互いの辛さを分かり合えるようになった。私と祖母の距離は、俗に言う「離れてから縮まった」のだ。

今ではとても仲が良いし、祖母は私達のことを応援してくれる。
祖母は、盲目的とも思えるくらいに「頑張ってる」「立派に育ってる」と私達に言うようになった。


でも残念ながら私の場合、頑張れていないことばかりである。抜けていることばかりである。出来ない。話せない。書けない。守れない。みんなみたいに上手く出来ない。
けれど距離が離れている今は、私の中身がクズだということに気付かず、「上手くやってる」と思ってくれてるのか。いや、そこは本当は気付いてるのかもしれない。私には分からない。
それでもとにかく、小さい子に言い聞かすみたいに、祖母は私を褒める。

私はそれに、ありがとうと返す。そして、祖母が言うほど上手に生きれていない自分自身の、まるで罪償いでもするように、私もまた祖母にとびきり優しくするのだ。

それが良いのか悪いのか分からないし、思うことはあるが、祖母には幸せでいてほしいと願う。



もう散々一緒にいて話なんてし飽きたと思っていたけれど、離れた今、話すとまだ新しく知ることや気付くことがあって驚く。

例えば、亡くなった祖父の知らない側面の話を祖母はよくする。たいていは憎まれ口を叩くのだけれど、そこに漂うどうしようもない情を感じる。そうか、いま私は、祖母と恋バナをしているのだ、とふと思ったりもする。

最近では、認知症になってしまった知人や友人の話を祖母はよくする。祖母自体も経年による認知能力の衰えを気付いているようで、自身がそうならないように必死に強がっているようにも見える。

新しく聞く話、新しく気づくこと、ポツポツと散らばって落ちているそれらを、取り零さないように拾う。拾わないと、そのままどこかへ消えていってしまいそうだと思う。


そういえば、祖母が話す後ろでずっとラジオ関西が流れているのに気づく。私が番組を持っているということで、聴き逃してはならないと、放送外もずっと流してるらしい。
もうホンマにそういうところあるよな、と思う。


〜〜〜〜〜


「じゃ、そろそろ帰るわ」
家を出る。
良いって言ってるのに、祖母は玄関先まで見送りにくる。並んで立つ祖母の背は、あまりにも小さい。もう冷えるから中入りと言うのに、歩き出して振り向くとまだ玄関先に立っている。きっと、そこの角を曲がって見えなくなるまで入らないのだろう。
もうホンマに、そういうところあるよな、と思う。


歩きながら、さっき発行したてのパスポートを手に「10年も生きれるやろか」とポツリと呟いた祖母の姿を思い返していた。私の頭よりもうひとつぶんくらい縮んでしまった祖母。10年経ったら、さらに縮んでしまうのだろうか。縮んで縮んで、そのまま、消えてしまいそうだ。



困ったことに、最近いつも、その角を曲がった瞬間になにかが溢れてくるみたいに泣けてくる。

悲しさと寂しさと、やるせなさと、申し訳なさと、
何とも言えない気持ちに勝手に陥って、めそめそ泣きながら駅へと向かう。


2017年1月10日火曜日

魔法使いのスティック



この年になると、皆一度くらいは精神を病む経験をしている。
ということで、もう時効だろうから書くけれど、中学のとき自殺未遂して入院したことがある。

数日経ってやっと歩けるようになって、病院の休憩ルームみたいなとこでボーッとしていた。ちょうど西日が差し込む夕暮れ時だった。同じく入院しているっぽい、パジャマ姿のおじさんがフラフラと近づいてきた。

おじさんは髪がぐじゃぐじゃで歯がぼろぼろで、特に上の前歯は綺麗に抜けて、犬歯だけが残っている状態だ。挙動不審だったし、薬物中毒とか何かはわからないけれど、精神的に病み切っているような感じだった。いい大人がボロボロになっているのを見て、何やってんだこの人は、とぼんやり思った。自分だって精神を病んで腕も足も傷だらけで自殺未遂までしたくせに、酷いものである。

おじさんは、スティックパンの袋を抱えていた。スティックパンとは、皆一度は口に入れたことはあるだろう。甘くて柔らかい棒状の安っぽい、あのパンだ。
そうして、震える手でスティックパンをひとつとりだし、私に差し出してきた。

どうしようかと思ったが、中学生の私は断る理由を思い浮かべることができず、ありがとうございますと、そのスティックパンを受け取った。
おじさんが私を見つめてくる。何を考えてるのか分からない目で。私は口の横を引きつらせながら、おそるおそるもらったスティックパンを口に入れた。

スティックパンは、普通のスティックパンだった。
甘くて柔らかいスティックパンだった。口の中の水分を奪われながら、もちゃもちゃと咀嚼する。

食べたことを示すためにおじさんを見ると、こちらのことなんてどうでも良さげにボンヤリしていた。そして虚空を見つめながらポツリとつぶやいた。

「嫌になるよねぇ」

そしておじさんもスティックパンを取り出し、おもむろに食べようとした。

ふと、おじさんは前歯がないのにどうやって噛むのだろうと、失礼極まりない疑問が浮かんだ。おじさんの前歯の場所は、ぽっかりと空いた暗闇があるだけだ。
その空洞にスティックパンが吸い寄せられていく様を、無遠慮にもジィッと見つめる。

すると、驚くべきことが起きた。

本来なら前歯があるスペースに、スティックパンが、それはそれは見事にパスンとはまった。無くなった前歯と、スティックパンの横の長さはぴったり同じだった。
そして残った犬歯に支えられ、口の奥にスルスルと長いスティックパンが飲み込まれていくのだ。それはまるで手品のように。

見ていると、なにか正体不明の感情達がワッと胸に込み上がってくるのを感じた。

ひとつは感嘆だ。歯抜けのぼろぼろのおじさんに、機能美の類の美しさを感じたのだった。
歯がないからこそ選ばれたかもしれない、柔らかく食べやすいスティックパン。でももしかしてむしろ逆で、スティックパンの為に歯を抜いたのではと錯覚するくらい、誰にも到達できないような美しい食べ方だった。
そして、その感情が通り過ぎたあと、最後に残ったのは、強烈な寂しさだった。

私もこの人も、ここで何しているんだろう。


一本、また一本と、おじさんは自らのスティックパン・スペースにスティックパンをはめて、やはりスルスルと飲むように食べる。
窓から差し込む西日が、おじさんと私とスティックパンをオレンジ色に照らす。その一方で、黒々とした影が病院の床に長く伸びる。伸びる。
私はその伸びた影に杭を打たれたかのように、微動だにできずにいた。

魔法のようなおじさんのスティックパン喰いを凝視していると、物欲しがっているように思われたのか、おじさんは震える手でもう一本スティックパンを差し出してきた。
目の前に、おじさんの前歯のところが、スティックパン・スペースが見えた。その奥は黒い影が広がっていて、何も見えなかった。

「もうお腹がいっぱいなので大丈夫です」

私はそう言って、逃げるように自分の病室に戻ってしまった。今さらだけどとても怖くなっていた。おじさんにというか、その時に初めて「死」を感じた気がしたのだ。自殺未遂をしても死というのが良く分からなかったのに、同じようにボロボロの人に出会って、初めて自分の立っている場所がギリギリ崖っぷちだったということに気付いたのだ

スティックパンおじさんには二度と会うことはなく、わたしは数日後に退院した。
それからまぁまぁいろいろいろいろあったりもして、それはいずれどこかで書くかもしれないけれど、とりあえずもう自殺しようなんて馬鹿な真似は二度としないでおこうと今に至っている。




たまに、スティックパンを無性に食べたくなって買ってしまう。そして、スティックパンおじさんを思い出すのだ。

あの時あの人はボロボロだったけど、幸せになれただろうか。
今もスティックパン・スペースにスティックパンをはめて、食べてるんだろうか。
…それとも、もう死んじゃったかな。



私はというと、今日も不器用に生き続けている。
あの頃みたいに「もう消えてしまいたい」と思うことは勿論沢山あるけれど、なんというか、死ぬまで生きようと決めたのだ。だから生きるのだ。

買ってきた安いスティックパンをもちゃもちゃと咀嚼する。
スティックパンは、甘くて柔らかくて、なんだか泣きそうな味がする。